わたしたちの暮らしは、二拠点生活なんて呼ばれるようになっていた。 雑誌なんかでもその言葉はよく見かけたし、流行ってるみたいだった。

 

 大学からずっと暮らした東京を離れて岡山に引っ越したのは、2011年の東日本大震災がきっかけだった。当時0歳だった息子をかかえ、35リットルのバックパックにつめるだけつめて、新幹線に乗った。新横浜で、Tシャツが裏返しだったことに気づいた。建築家の夫が岡山の大学で職を得たことがその地を選んだ理由で、友達も知り合いも、ひとりもいなかった。岡山って広島より向こうにあると思っていた5年前。段ボールをテーブルにして始めた暮らし。
 やがて息子の成長とともにわたしは東京での仕事を再開することになる。最初は仕事ごとに岡山と往復する生活。徐々に予定が重なり始めると、千葉の実家にずるずると滞在して撮影をこなした。やがてわたしの両親に子守りをお願いするのも限界をむかえ、息子は実家近くの保育園に通わせるようになった。岡山でも預かってくださる保育園を見つけた。友達にもヘルプを頼んだ。どうしても困ったときには、愛知に住む夫の両親にお願いした。「のぞみ52号の5号車のうしろのドアでお願いします」そんなメールを送り、新幹線のホームで息子を託すのも、日常に。息子は岡山、愛知、千葉と3つのおうちがあると、胸を張る。
 見ようによってはむちゃくちゃな日々だけど、わたしたちはひとつずつ目の前の課題を必死にクリアするので精一杯だった。夫も気づくと、日本中を飛び回っていた。わたしたちの暮らしは、二拠点生活なんて呼ばれるようになっていた。雑誌なんかでもその言葉はよく見かけたし、流行ってるみたいだった。でも、現実はただの、体力勝負。そして家族3人一緒の時間は、今のわたしたちにとってとても、贅沢品だ。
(次回更新に続きます)

中川 正子

なかがわ・まさこ/1973年生、千葉県船橋市出身。写真家。
津田塾大学在学中にアメリカ・カリフォルニア州に留学、写真と出会う。帰国後、山路和徳氏に師事。10年4月に男児を出産。11年3月、岡山に拠点を移す。広告や雑誌のフィールドの第一線で活躍する写真家でありながら既存の価値観に縛られることなく、新しい暮らしを実践しようとしている。この春、最新の写真集『ダレオド』を刊行。高松を皮切りに全国及び台湾で展覧会を行う。